・軍の猫 2・

 

「ハボック少尉」
 
 ハボックを名指ししたのは、ホークアイ中尉だった。
 
「夜勤になりますが、構いませんね」
「喜んで」
 に、と笑って。
 ハボックは、この東方司令部最強の上官に敬礼した。
 
 
「ちょっと待て」
 異を唱えたのは、ロイ・マスタングだった。
 たった今、ホークアイによって命じられた護衛任務の、対象その人だ。
 
「何か?マスタング大佐」
「この通り私は元気だ。今のところ特に問題もなさそうだし、付き添いなどいらんよ」
「今のところは、です」
 真っ向からホークアイの視線を受けとめて。
 はい、仰せのとおりです、と思わず頷いてしまうロイである。
 
 どちらがこの司令部の実力者であるかは、一目瞭然で。
 
「いいですね、ハボック少尉」
 呼びかけは、ハボックに。
 けれど、念押しの対象は、ロイで。
 
 Yes,Ma'am、と。
 ハボックが、敬礼する。
 それで、決まりだった。
 
 
 
 
 

「……ったく、中尉もきついよなぁ」
 
 安らかな寝顔を前に。
 ぼそり、ハボックは呟く。
 
 超過勤務手当ては、つけておきますから。
 そう言って、中尉は、一瞬、笑顔を見せたけれど。
 あれは、給料をはずむから、なんて笑顔ではなく。
 今夜のこれは、あくまで勤務なのだ、とでっかい釘を刺されたに過ぎない。
 
 勤務中、だから。
 軍服を脱ぐことは、許されない。

 
「えーと」 
 今夜の任務は、ロイ・マスタング大佐の身の安全を、確保すること。
 外からの襲撃ではなく、彼自身の、体調が悪化に備えて見守ることだ。
「これは、任務のうち、だよな?」
 いつ見ても、死んでいるみたいに静かにひっそり眠る彼の。
 口元へと、顔を近づける。
 
 ちゃんと息をしていることを確かめるために。
 
 塞いだら怒られるのは、実証済み、なので。
 今夜は、そっと触れるだけ。
 
 まったく。 
 無防備にも、程がある、と。
 微か開いた唇を、舌でそっと舐めてみる。
 湿った唇に僅か触れる吐息が、彼の生命を保証する。

 乱れのない、呼吸。
 
 とても。
 疲れていたのだろう、と。 
 今さらながらに、思う。
 
 
 
 
 
 ハボックに、不寝番で見張られる、もとい、見守られるのは、不服だったのだろう。
 ハボックの運転する車で、帰る道すがら、彼は極端に口数少なくなっていた。 
  
 自宅に戻った途端、乱雑に軍服を脱ぎ捨てる。
 余程窮屈だったのだろう。
 まるで背伸びをするように、ぴんと尻尾が伸びたのを、何とも不思議な気持ちで見つめたものだ。
  
 それから、ロイは。
「寝る」
 と一言だけ残し、そそくさと寝台に潜り込んだ。
 
 そうして。
 瞼を下ろした数分後には、信じられないことに、本当に彼はひどく静かな眠りへと引き込まれて
いたのだった。
  
 
 
 後に残されたハボックとしては、ただただ、その寝顔を見守る他はなかった。
 
 こんなことがあった後だというのに。
 その寝顔ときたら、とても安らかで。穏やかで。
 
「まったく、人の気も知らないで」
 行方不明となって、どれほど案じたか。
 無事(とは、とても言えないが)な姿を見て、どれほど安堵したことか。
 
 猫耳の、一つや二つ。
 この人の、不在に比べれば。
 

 これくらいは、許されたっていいだろう、と。
 伸ばした指で、柔らかな黒い毛に覆われた、とてもバランスのよい三角形の耳に触れる。
 本当の仔猫にしてやるように耳の後ろをそっと撫で上げれば、指に心地よい天鵞絨の手触り。
 何度か耳を撫で、そのまま指先を彼の髪へと滑らせる。
 柔らかで艶やかな髪の内へと、幾度となく指を潜らせては梳く。
 
 それが、心地よかったのだろう。
 ほとんど寝返りもうたないロイが、僅か身じろぎ、更なる愛撫をねだるように、ハボックの
指へと耳を押しつける。
 
「ホントに……勘弁して下さいよ」
 ただでさえ、油断するとついうっかり可愛いという形容詞が口をついて出そうなのに。
 こんな、犯罪的に可愛らしい生き物になんてなって、これ以上どうしろというのだろう。
 
 
 
 愛しい、と。
 切実に、想う。
 
 その人の。
 この、静かな眠りを妨げるものがあれば、きっと自分は容赦などしないだろう。
 
 たとえ、それが、自分自身だったとしても。

 
 だから。
 その夜。
  
 ジャン・ハボック少尉は、ただその寝顔だけを相手に、一夜を過ごしたのだった。
 
 
  
 

(続)

'04.02.18

  第二話、ハボロイ編。 またの名を「初夜敗退」編でした。   いや、いい人だなぁ、ハボ。 いつかちゃんといい目をみれるといいね。 しかし、ますにゃんぐで 切な系シリアス書こうとするあたり 根本的に何か間違ってます。 どんなにかっこつけたって、 猫耳・猫尻尾、ついてるんですよ?  

猫小屋