・軍の猫 3・

 


「よ!」
 
 明くる日。
 まだ日も高いうちから、元気よく東方司令部司令を訪れたのは、予想どおりと言ってもよい
ような、ヒューズ中佐だった。 
 
 
「うわー、本当に猫じゃねぇか。んー?」 
 おそらくこの世でもっともロイ・マスタングに対して遠慮を知らない人間の一人であるマー
ス・ヒューズ中佐は、当然、しげしげと耳の先から尻尾の先までロイの全身をそれこそ舐める
ように熱心に眺める。
 そりゃほとんど視姦だろう、と端で見ている方が突っ込みたくなるくらい、熱心に眺めた挙
げ句、
「いやー予想以上に似合うもんだなぁ。いやホントびっくりしたわ」
 などと、ロイの只でさえ切れやすくなっている血管を二、三本まとめて切りそうな感想を述
べた。
 
「言いたいことはそれだけか、ヒューズ」
 辞世の句として聞いておいてやろう、と。
 いっそ爽やかな微笑みと共に、火花が散った。
「え、あ、うわっ………!」
 器用に軍服の左の袖口だけ、炎上かつ鎮火させられたヒューズが喚く。
 繊維の焦げる匂い。
 そうして。
「……錬金術をお使いになるのに支障はないようですね」
 冷静な、ホークアイ中尉の言葉に。
 決して怒られた訳でもなんでもなかったはずなのに、なんとなく羽目を外しすぎた小学生の
心持ちで、二人は決まり悪そうな顔で、改めて来客用ソファへと腰を下ろした。
  
 
「セントラルにいるはずの貴様が何故ここにいる?」
 絶妙なタイミングで差し出されたティーカップから、紅茶を一口啜って、ロイはもっともな
疑問をぶつけてみる。
「そりゃあ親友の一大事と聞いてだな」

 仕事を理由に駆けつけないような人でなしだと思うか?この俺が。
 もっともらしく、むしろ胸まで張ってヒューズが答える。
 知らせを聞いて。手持ちの仕事を超スピードで片づけ、最小限ヒューズの不在に対応できる
ようにして軍法会議所を出たのが明け方近く。
 朝一番の列車で駆けつけたのだという。
 
 なるほど、そこだけ聞けば良い話だ。
 なんと篤い友情か、とアームストロング少佐辺りなら感涙にむせびなくところだろうが。
 
 が。
 少なくともロイはヒューズの人となりを知っている。
 駆けつけた理由を問いただせば、「だってこんな面白そうな事件、放っておけるか」とうそ
ぶくに決まっている。
 だからヒューズの言葉を額面通り受け取る気はないし、苦虫を潰したような顔で、じとっと
旧友を見据える。
 
 もっとも、ロイの勘繰りは、必ずしも正しくはなかった。
 この時のヒューズの本音を正しく言葉にすれば「ロイ・マスタングの猫耳姿が見たかった」
の一言に尽きるのだから。

「昨日の今日だぞ?大体、何故貴様が知っている?」
「そりゃ上官思いの可愛い部下が知らせてくれたに決まっているしゃないか」
 ちらり、ヒューズが視線を流す先にはホークアイ中尉が無表情に佇んでいる。
 む、と返答に窮し、ロイはただ視線だけ、過激な傍観者である副官に向けた。
「さしでがましいとは存じましたが、中佐には私が連絡させていただきました」
 無論、そんなロイの視線とその意味を平然とホークアイ中尉は受けとめて、さらりと受け流
してしまう。
 そう言われてしまうと、それ以上、余計なことを、と文句をつけるわけにもいかず。
「………」
 けれどどうにも不本意そうな、拗ねた子供そのままの表情で、ロイは黙り込んだ。

「おい、中尉。こいつ、今日この後の予定は?」
「午後から市立博物館の落成式に列席です」
 ヒューズの問いに、ホークアイが答える。
「欠席するわけにもいかないか」
 そういえばそんな行事もあったか、と深々とロイは溜め息をつく。
 欠席するわけにもいかない、が。
 はいそうですか、と出席するわけにもいかないのだ。
「如何なさいますか?」
 ちょうど良い、とばかりにホークアイが問い掛ける。
「帽子で隠れないものかね、こいつは」
 そう言って、ロイは、頭上の耳を指で指し示した。 
 落成式なら、いつもの軍服でなく式服での列席も可能で。
 だとすれば、制帽を着用しても不自然はない。
 
 が。
 結果は。
 
「んー」
 ヒューズが、腕を組んで、首を傾げる。
 
 微妙、だった。
 確かに帽子で猫耳そのものは隠れるものの、やはり耳の上に乗っている感は強い。
「あれ、そーいえば、大佐、尻尾は意志で動かせるんですよね」
 ふと思い出したように、ハボックが口をはさんだ。
「ああ」
「じゃ、耳は?伏せられます?」
「……あ?こうか?」
 ロイは神妙な顔で、耳をぴくぴく動かす。
「………っ、と、ええはい、そうです」
 ぷぷっ、と吹き出すのを堪えて、ハボックが頷く。
「……」
 どうやらまだちゃんと耳の動作協応はできていないらしい。  
 ロイの真剣な努力とは裏腹に、司令部一同は、必死に笑いを噛み殺した。
 
 耐えること、五分余り。
「これで、どうだ?」
 無駄に偉そうに、ロイが問いかける。
 ぺたん、と。
 黒い耳が、形のよい頭に沿って伏せられている。
 ようやく努力は実ったようだった。
「おお」
 誰からともなく、沸き起こる拍手。
「なるほど、それなら、帽子で隠れますね」
 ブレダが頷けば、皆がうんうん、と頷く。
「では、そのまま、頑張っていただけますか?」
 そのまま、頑張って。
 絶対、耳を立てないように、と。
 念を押される。
「むろんだ」
 そんなことぐらい、ホークアイに注意されるまでもない、と。
 ロイは胸を張っていたけれど。
 
 実際は、とんでもない苦行であることを彼はすぐに知ることとなった。 
  
 

 幸い、落成式は滞りなく進んだ。
 いつもなら市長挨拶が二分も続かないうちに退屈して欠伸を噛み殺し始めるロイ・マスタン
グだったけれど。
 今日ばかりは、いつになく真面目な顔で、列席している。
 あー、頑張ってるなぁ、と。
 事情を知っていヒューズとしては、笑いを堪えるのが精一杯だ。
 あれは、一言だって、祝辞なんて聞いてやしない。
 ただ、本当に一生懸命、耳を伏せることに集中しているのだ。

 昔から。
 ロイ・マスタングという男は、端から見れば馬鹿馬鹿しいようなことでも、本人さえその気
になれば、それはもうとても熱心に挑むのだ。
 が、それにしても。
 やっぱり可笑しいものは、可笑しい。
 事情を知っているから、笑いとばしたりは絶対にしない、できないけれど。
 
 その、健気にすぎる、微妙に方向を間違えた努力は、やはり笑いを誘わずにはいられなかっ
た。

 
 
 一時間あまりの式典は終了した。
 ロイは、確かに、耳も尻尾もぴくりとも動かさないことに成功した。
「お疲れさまでした」
「まったくだ」
 車に戻って。
 ようやく帽子を脱いだロイは、ほぉと大きく溜め息を吐き出した。
 車内には、事情を知っている人間しかいないのをいいことに、そそくさとロイは窮屈なアン
ダーコートも脱いでしまう。
 ゆるめたズボンの後ろから、伸びをするようにゆっくりと尻尾が覗く。
 それから。
 ぺし、と。
 尻尾が、隣の座席に座るヒューズの腕を容赦なく叩いた。
「いて」
「ああすまない、当たったか」
「……当てたんだろうがっ!お前が」
 せっかく思うように使えるようになったのだから、と。
 ここぞとばかりに、尻尾攻撃にはしるロイに、やっぱり子供のようだ、と一同、心の中で呟
いた。

 そのまま、東方司令部に戻れば。
 後は司令官室で、耳と尻尾を野放しに、書類の決裁だけしてその日は終われるはずだった。

 が。
 
 キキーッ!、と嫌な音を立てて急ブレーキがかかった。
 後部シートの3人は、危うく座席から放り出されそうになるのに、ぎりぎり立て直した。
「ハボック!?」
「大佐、伏せて下さいっ!」
 ハンドルを握っていたハボックの、硬い声に車内には一気に緊張が走った。
 彼らの車の寸前で、別の車が炎上している。
 間一髪、
 この軍用車に故意にぶつけるために、無人で走らせたもののようだった。
 
 衝突の悲劇は、ハボックの鮮やかなハンドル捌きによって、回避されたようだが。
 どうやらただ一台の無人の車が己の意志でマスタング一行を襲撃したはずはなく。
 停止を余儀なくされた車は、どこに隠れていたのか、と思うようなテロリストに囲まれてい
た。
 
「ロイ・マスタングだな!?」
 散弾銃を構えた若いテロリストが、命令する。
「我々は東部解放戦線の者だ!武器を捨てろ!我々の要求に従えば、命までは取らない。まず
は車を降りろ!」
 一瞬、ロイはヒューズと顔を見合わせた。
 つい自分達だけの車内に戻ってきた、という安堵だったのだろう。
 無防備にもロイは、耳と尻尾を丸出しにしてしまっている。
「……錬金術師ならともかく、一般人は錬金術がどんなものかを知らない」
 小声で、ロイが言う。
 むろん合成獣の錬成など、想像の地平を軽く超越している。
「まさか東方司令官が猫になりました、と言ってもにわかには信じないだろう」
 かまわん、と。
 あっさり覚悟を決めたロイは、取り上げられる(予定の)銃火器を抱えたホークアイに続い
て車を降りた。
 
「何だ貴様ら!何の仮装だそれは!!」
 一瞬、毒気を抜かれた顔で、テロリストが喚く。
 
 そりゃあそうだろう。
 ヒューズは、こっそりとテロリストに同情する。 
 勢い込んで襲った積年の恨みも深い東方司令部の大佐が、猫耳猫しっぽでは。

「ああ見てのとおりだ。私達はハロウィンの準備に忙しい。貴様の相手をしている暇などない
のだよ」
 ねけぬけとそう言い放ち、いかにも性格の悪そうな顔で笑って、ロイが応じる。 
 
 いやその姿で偉そうにしても、全然怖くないから、とは、部下達の心の叫びであったけれど。   
 
 けれど。
 この動じなさが、ロイ・マスタングだ、と今さらながらに、ヒューズは感心する。
 
 一人、二人……三人、五人。
 互いに、気配を読み、テロリストの数を数える。
 七人。
 いける、と確信して。
 
 ぱちん、と。
 ロイが指を鳴らす。
 次の瞬間、その場に居たテロリスト達は、ぼっと赤い焔に包まれる。
 ぎゃあ、と派手な悲鳴と。
 派手な、焔と。
 圧倒的な、力の差だった。

 だが。
 その一瞬、ロイの背が僅かに強張ったのを、ヒューズは見逃さなかった。
 飛んでくる火の粉を避けるふりで咄嗟にロイの手首を掴み、引き寄せるついでにさりげなく
手を握れば、把握反射よろしく、ぎゅ、と握り返される、というよりは無意識に強く爪を立て
られる。
 
 ……おやまぁ。
 動物は、火が嫌いだ、と。
 思い出したのは、その時だった。

 最悪じゃねぇか。
 親友のために、ヒューズは、こっそりと溜め息をつく。
 焔の錬金術師が、焔を扱えない、などということが発覚したら。
 それはもう耳や尻尾どころの問題ではない。
  
 

 ロイの一撃で、テロは片付いた。
 すぐに司令部に連絡を入れ、ハボックは隊が到着するまで現場を見ることとなった。
 先にロイを車内へ送り込んで。
 それから状況を再確認するように振り向いたホークアイへと、ヒューズは耳打ちする。
「中尉」
「………」
 ヒューズの潜めた声に、何かあることを察したホークアイは、目だけで次の言葉を促す。
「あいつに焔を使わせるな」
 いつになく真剣なヒューズの囁きに、ホークアイは何事か悟った顔になり。
 
 そのまま、何事もなかったかのように、ロイの隣へと着席する。
 ジャケットを直すふりで、ホルスターの中の愛用の拳銃に僅かに触れる。

 理由がどうであれ。
 ヒューズがそう言うのであれば、それは何か理由があってのこと。
 
 ロイが焔を出さなくて良いように。
 この拳銃で。
 ロイの、さらに前方で戦わなくてはいけないのだ、と。
 それは誓いに似ている。
 
 耳も、尻尾も。
 とても魅力的だけれど。
 ロイ・マスタングの先行きには、どうやら暗雲立ちこめている模様だった。

 
 


(続)
 
 

’04.03.05  UP     

  第三話、ヒューズロイ編・その1。 間違いなく美味しいとこどりのお方ですねぇ。 次回は、ヒューズ編・その2。 あわよくば、裏突入です(^^;;  

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