・軍の猫 5・

 
 

「いい加減、帰れ」
「またそんなつれないことを」
 
 翌朝。
 マスタング邸。
 
 中央には、山積みの仕事が待っているのは事実だ。
 タイムリミットはもう来ている。
 
 けれど。
 
 その言い方はないんじゃねぇの?と。
 少しばかり拗ねたくもなるヒューズだ。
 
「お前がここに残ったところで、事態が解決することは何もない」
 
 
 強がり、とか。
 ヒューズの立場を配慮して、とかだったら、涙誘う恋人同士の別離となるのだろうが。
 生憎彼らはそんな甘い名称でひっ括れるような関係ではなく。
 まして、相手はロイ・マスタングだ。
 心の底から、ヒューズがいても役に立たない、と思っていること間違いない。
 
「だってなぁ、名残惜しいじゃねぇか」 
 ひょい、と。
 手を伸ばして。
 そろそろ見慣れた黒くて長い、しなやかな尻尾を掴む。
 捕まえると反射的に、ぴく、と震えて。
 逃れようと掌の中でうねうねと動き出す様は、腕の中で快感にもがく様に似て、とても楽しい。
 
 ついつい口元が緩んだのが、ばれたのだろう。 
「ヒューズっ!お前はもうさっさとセントラルに帰れ!!」
 ロイが、腹の底から、怒鳴る。

 
「じゃあな、ロイー」
 名残惜しげに、ヒューズは、耳を撫でる。
「……ヒューズ」
 氷点下の空気で、名前を呼んで。
 ロイは、右に手袋を装着する。
 司令部まで送り届ければ、今度こそお役目御免、だ。
 
「ま、そう簡単には解決策もなさそうですし。また見れますよ?」
 フォローになってないフォローを、ハボックがいれれば。
「ああ、それもそうだなぁ」
 あっさりヒューズも同意する。
 簡単には解決しない、という言葉には、絶対同意したくないロイは、二人まとめて部屋を叩き出したい、
と心から思った。
「中佐、お時間はよろしいのですか?」
 セントラルまでの直通特急は、限られている。
 その辺りの把握は完璧なホークアイが、さりげなく口を挟む。
「おっと、もうそんな時間か」
 じゃあな、と。
 最後にもういっぺん、そうっと耳を撫で上げて。
 慌ただしく騒がしく、ヒューズは去っていった。
 
 
「……やれやれ」
 ふぅ、と大きく溜め息をついて、ロイは机に肘をついた。
「台風一過、って感じでしたね」
 ロイの気苦労を思いやるように、フュリー曹長が声をかける。
「まったくだ」
  
 けれど。
 あくまで、台風の目、は。
 この場合、ロイ本人なのを、この二人は、その時一瞬だけであっても、完全に失念していた。
 

 ヒューズが、去って。
 ほんの少しだけ、日常に戻った東方司令部は、ロイの耳と尻尾という非日常の存在はとりあえず棚上げ
して、誰からともなく、日常業務へと復帰していった。
 なんといっても、仕事は、たくさんあるのだ。
 たとえば、昨日のテロの後始末もそうだ。
 耳があろうが。尻尾があろうが。
 目と手が使えるなら、さっさと仕事を片付けて下さい、というのは、ホークアイ中尉以下、司令部全員
の意向でもあった。

 残り少なかった午前の勤務時間は、何事もなく過ぎた。
 お昼の休憩が終わり、午後の勤務に入り。
 
 今日、こそ。
 このまま、平穏に過ぎるてくれるのか、と。
 
 既に、耳と尻尾を日常に組み込んだロイ以下、司令部の全員が、仄かな期待を抱きかけた、夕暮れ前。
 
 ロイが、不意に胸を押さえた。
  
「大佐?」
 ほぼ同時に、ホークアイとハボックも、異変に気付く。
「いや、何でも……」
 何でない、と続けようとした言葉の続きは。
 けれど、素早く席を立ち、額に回されたハボックの大きな掌によって、あっさり阻まれた。
「熱、出てますね」
「……」
「大佐、他に具合の悪いところは?」
「いや、少し気持ちが悪いだけで……」
 大丈夫だ、という強がりは。
 一見上司を上司と思わない強者に見えて、その実ものすごい上司過保護な部下二人には、これっぽちも
通じず。
「軍医を」
 ロイの意志とは無関係に、対策がとられていく。

 
 
 一難去って、また一難、とはよく言ったものだ、と。
 唐突で、激しい嘔吐感と戦いながら。
 ロイは、依然として前途多難な自分の身の上を、ひどく遠いもののように思った。
 
 


(続)

 '04.05.05    

  第五話です。 本当は4.5話でもいいくらいの、 中継ぎのお話なんですが(^^;; せっかくの連載、一度やってみたかったんですよね。 さあ次回!ロイの運命は? みたいな、終わり方。    

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