おやすみ

「おい、聞いてるか、天蓬……天蓬?」
「…………い……」
 はい、と答えたつもりらしい、が。
 実際音になったのは、聞き取ることのできないほどの、不明瞭な声。
 明らかに寝惚けているだけだ、と証明しているような返事だ。

「……明日、出陣すっから」
 悪ぃな。
 お前に、言いそびれちまってたわ。
 そう、無防備な寝顔に、話しかければ。
 無性に、笑いがこみ上げた。

 謀略と。
 分かり切っている出陣命令だったけれど。

「お前、また、怒んだろーな。…………けど、逆上すんじゃねぇぞ」
 そんなこと。
 無理、と承知の上で。
 言わずにはいられない台詞なんて。
 これまでにも、幾つだって、あった。

 手を、伸ばして。
 額の辺りから、髪をかきあげる。
 まだ微かに湿り気の残る、柔らかくしっとりした髪の感触を掌全体で味わうように、ゆっくりと。何度も。
 それから、まるで子供にしてやるように、くしゃっと掻き乱してみた。
 
「なぁ、天蓬。………そーいや、お前に言ったことって、あったか?」
 あるわけねーよな。
 
 愛している。
 
 音に出して。大気に溶けてしまうことさえ、惜しむように。
 そっと、唇の動きだけで、綴った言葉。

 
 声にすれば。
 叫んでしまいそうだった。
 
 言葉に出せば。
 それより他に、何もいらなくなりそうだった。

 たぶん。
 そうとはなれない自分を知りながらも。

「………れん……?」
 ぱちり、と。 
 不意に、その目が開いた。
 
 ばれたか、と。
 思った、その一瞬。

「………愛しています、捲簾」
 寝惚けている人間以外の、何者でもないくせに。
 ひどく、鮮明な声と、瞳で。
 誰よりも、綺麗に、そう笑った。

「………」
 あっけにとられて。
 天蓬を凝視すれば。

 そのまま。
 再び閉じた瞼。
 規則正しく、安らかな寝息だけが、辺りを支配するリズムとなる。  
 
 
 ………ちくしょー。
 
 心の中で、叫んだ。

 あと、一日。
 せめて、あと一日あれば。
 
 お前、寝惚けて何言ったか覚えているか?と。
 散々、からかい倒し、笑い倒してやるものを。

 ………ちくしょー。
 
 やられた、と。 
 思った。
 
 敵わない。
 こいつにだけは。

 
「………降参」
 しょうがないから。
 笑った。

 
 掌には、体温。
 網膜には、色。
  
 大丈夫。
 ちゃんと。
 刻みつけたから。

 それだけ、抱いて逝くから。
 
 おやすみ。

 ──────そして、さよなら。

  

'02.05.01 p.m.10:14
 
 
  

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