雨音

 水音は、命の旋律。
 天より降るは、生命の滴。
 雨雪となって地上に舞い降りては、せせらぎとなり川となって、大地を巡り、潤して。
 やがて、遠く海へと注ぎ、やがては天へ帰っていく。
 生命の、巡り。
 生命の、流れ。
 生命の、音。



 
1・
 
 天蓬は、雨が好きだ。
 
 
 そう、捲簾が気付いたのは、最近だった。
 
 めんどくさい、と言って。
 日頃から、外出を渋りがちな天蓬が、突発的に変異行動を取るのは、雨の日が多かった。



 夕立にあって、びしょ濡れになって戻ってきたり。
 嵐の中で、捲簾を誘ったり。
 好き、という意識は乏しいのかも知れない。
 
 いや、たぶん。
 間違いなく。
 自分でも、気付いてないのではないだろうか。
 捲簾は、そう疑っている。

 
 まだ昼過ぎだというのに、今日は空が暗い。
 厚い雲に覆われて、太陽は遠く。
 空気は重く、水分を孕んで。

 この分だと、一雨くるなぁ、と。
 屋外での演習を早々に切り上げて戻った執務室。
 窓から見上げた空は、とても暗かったけれど。
 捲簾の気分は、悪くなかった。
 
 こんな風に。
 雨を期待するのは、初めてだった。
 雨を、というよりは。 
 雨が、天蓬にもたらすささやかでいて、劇的な変化を、期待しているのだ。
 
 さらさらと、ただ紙に向かってペンを走らすひととき。
 その、静寂の中へ。
 
 やがて。
 待ち侘びた音が、訪れる。
 
 ぱらぱら、と。
 窓の玻璃を叩くは、大粒の雨。

 そうして。
 この、雨の音は。
 彼の──天蓬の、どんな表情を誘い出すのだろう、と。
 それは、思い描くだけで心楽しくなるような、捲簾だけが知る天蓬の癖だ。 
 




2・
 
 或る年、或る月、25日。
 
 月に一度の下界降下の日、よほどの事情がない限り、天蓬の行動パターンは決まっている。
 何軒かの本屋のはしごして。
 それから、同じように何軒かの雑貨屋をはしごして。
 一軒店を出る度に、確実に増えていく手荷物には、迷いも躊躇いもないあたり、いっそ男らしく、
潔い、と言えるかも知れない。

「……相変わらず似たようなとこばっかり」
 毎月毎月これを繰り返していれば。
 いくら捲簾が処分しても、あの部屋を占拠する謎の物体は減らないはずだ、と。
 久しぶりに下界に付き合った捲簾は、溜め息を隠せない。
「嫌ならついてこなくていいんですよ?」
 何か文句ありますか?と。
 明らかに優位を譲らない天蓬のまなざしに。
「いーえ、なんにも」
 今日ばかりは逆らいようもない捲簾だ。

 何軒目かに、天蓬が立ち寄ったのは、寂れた店構えの雑貨屋だ。
 いったいどこの国、どこの地方の産物なのか。
 素朴なような、複雑なような、民族色豊かな雑貨が、どう見ても商売する意欲に乏しい様で雑然と
並べられている。
 その、物と物に埋もれた中で。
 天蓬はといえば、よくもまあそんなものを、と言いたくなるようなものばかりを器用に見つけだし
てみせるのだ。

「……うわぁ、これはスゴイですねぇ」
 見るな。見るんじゃない。
 見なければ、知らなければ、心穏やかでいられる、と自分に言い聞かせてみる捲簾ではあるけれど。
 ついうっかりと、見てしまえば。
 天界にいる時には、滅多に見れないほど、生き生きと楽しそうな顔が嫌でも目に入る。
 天蓬が、そんな表情を見せてくれることは、稀だ。
 天蓬がそんな顔を見せてくれること自体は、むしろ嬉しい。
 そういう場面に居合わせたことも、むしろ嬉しい。
 ただ。
 それが。
 全長50cmは軽く超えている木彫りの蛙の彫像を二つ、真剣な顔で見比べているのでなければ。

「ねぇほら捲簾見て下さい」
 にこにこと、天蓬が掌に乗せて捲簾の目の前に差し出したのは、どこからどう見ても人間の脳をか
たどったとしか見えない、そのくせ妙にちゃちなつくりの物体だった。
 上の方に小さく紐らしき突起の見えることと、その乳白色の材質感からして、どうやら蝋燭らしい
と判断される。
「すごい可愛いですよねぇ」
「………」
 これを。
 可愛い、と言われて。
 自分に一体どんな相槌を打て、というのだろう。
 捲簾は、不審に満ちたまなざしで、目の前の上司の顔を窺う。
 が。
 天蓬はといえば、何の含みも読みとれない、ただにこにこと無邪気に嬉しそうな顔で、掌の脳味噌
型蝋燭を見つめている。
 誰か、こいつをどうにかしてくれ。
 捲簾の、他人に思われているよりはずっとずっと常識的な理性が、そう切実な呟きを洩らす。

「ほら、こんなのも」
 見るな、という理性の忠告に再度背いて、天蓬の指差す方へと視線を向ければ。
 薄い蛍光緑色をした、真ん丸い顔のプラスティックの人形が、ゆっくりゆっくり首を左右に振って
いる。
「ひだ○りの民ですって。すごいですねぇ」
「……どっちかってゆーと、すごいのはそれに感心してるお前の頭の中身の方だと思うが」
「ほら、太陽電池内臓で半永久的に動くんですよ」
 捲簾の冷ややかに容赦ないつっこみを、まるでなかったかのように無視して、天蓬は続ける。
 むろん捲簾も聞かなかった顔で、天蓬の指先から視線を逸らし。
 一段上の棚に、青だのオレンジだのと色とりどりのプラスティック人形が、まったく同じ顔と同じ
姿勢、同じリズムで揺れている。
 一体一体は、それなりに無邪気でのほほんとした平和な顔をしているのだが、如何せんそれが5体
も10体も一緒に揺れている姿は、かなり眩暈を誘う。
「………」
 なんとなくむっとして、揺れている人形の一体に、捲簾は手を伸ばした。
 ぐい、と力を込めて、人形の頭の動きを止めれば、確かに人形は揺れるのを止めた。
 だが、動こうとする機械仕掛けの力に、捲簾の指の先で、微妙に震えている。
 まるで、にこにこと笑顔全開のまま、もがいているようで。
「うわ、すごい」
 天蓬は遠慮なく笑いだすものの、捲簾は、脱力感の三十倍返しを、ひ○まりの民人形にされた気分
で、すごすごと指を離した。
 よほど笑いのツボにはまったのか、天蓬はまだ涙目で笑っている。
「……お前が天界最高の頭脳だってのは否定しねぇけどな。なんであれ、お前の『判断』に委ねるに
は、ものすげぇ不安があるぞ」
 そう、捲簾が言えば。
「ご安心を」
 天蓬は、いたって人の悪い笑顔で、応じる。
「蛙は芸術的だし、蝋燭は可笑しいし、この子達は可愛いし、貴方はかっこいいですよ。僕の審美眼
を信じなさい」
 きっぱりと。
 天界に数多存在する天蓬フリーク共が、その姿だけ見れば、なんとカッコイイ、さすが天蓬元帥だ、
と惚れ惚れしそうな断定ぶりで、そう天蓬は言い放つけれど。
「………今、お前、こいつらと俺を同列に並べたな」
 この、青やオレンジや蛍光緑の揺れる物体と、同列に。
 かっこいい、と断言されたところで。
 ものすごく、嬉しくない。
 もしかしたら、人生において嬉しくない褒め言葉ワースト3に入りそうな気がする。
 そう捲簾は嘆いた。
 
 どのひだ○まり民を連れて帰ろうか、と。
 真剣に見当している天蓬から、あえて目を背ける。
 
 そうして。
 天蓬から逸らした、目線の先。
 捲簾の目を引いたのは、さして広くもない店内で、明らかに邪魔、と主張しているむやみに大きく
て長い、丸太のような物体だった。
「……?」
 さすがに長身の捲簾を超えることはないものの、小柄な人間の背丈ほどもあろうか、というそれの
用途をはかりかね、思わず捲簾は、一歩近付いてしまう。
「………レインスティックですね」
 まるで。
 そのタイミングを見計らっていたかのように。
 不意に耳元で呟かれた台詞に、さしもの天界軍の勇士の心臓も一瞬、早くなる。
「うわ゛っ!…って、何だ?いきなり耳元で声かけんじゃねぇよ」
 捲簾の抗議をはなから無視して。
 天蓬は、捲簾の目線の先、そのひどく大きな棒状の物体を、手に取り、くるりと逆さまに向ける。
 と。
 ざぁぁぁぁ。
 軽やかな音が、響き始めた。
 何の音だ、と。
 捲簾は、一瞬首を傾げて。
 それはまるで、大粒の雨が、庇を叩く音だと想起する。
「亜熱帯の、スコールの音ですね」
 捲簾の想像など、初めから分かっていたように、天蓬が言う。
 ざぁぁぁぁ。
 ぱらぱらぱら。
 それは、噎せ返るような熱帯の緑の中。
 屋根と。
 木々の葉と。
 花へと。
 勢いよく降り注ぎ、止まらない雨の音だ。
 
 
 中が空洞になっていて、中に何か軽くて小さいもの入っているのだろうというのは、分かる。
 だが、ざっと流れてお終い、というのではなくて、びっくりするほど長く、ぱらぱらと鳴り続ける
ことに、つい感心してじっと見てしまえば。
 にこ、と。
 楽しげに、隣で天蓬が笑った。

 ひょい、と。 
 捲簾の視線の先から、そのバカでかいレインスティックを奪い去ると、平然と抱えていく。
「……おい」
 不穏な予感は、すでに確定した近未来。
 捲簾も気に入ったのだから、文句はないだろう、と。
 天界へのお持ち帰り決定、だった。

 



3・

 ざぁぁぁ、と。 
 手元から、零れる雨音。
 半ば無意識の動作でレインスティックを傾ける男に、ちらりと視線をくれた天蓬の口元には、ひっそり
満足げな微笑みが浮かぶ。
 
 下界から持ち帰ったばかでかい無用の長物は、それなりに天蓬の部屋にそれなりに居場所を得ていた。
 手持ちぶさたになった時の捲簾の手元で、無意味に鳴らされる、という大事な役割まで担っている。
 捲簾の手元から零れてくるのは、決してうるさいという程の音量には至ることない、柔らかな雨の音。
 乾いた大地に深く沁みこんでいく、恵みの雨の音だ。


 時には、長く静かに降り続き。
 時には、激しく荒れ狂って世界を揺るがす雨は、下界の姿そのものだ、と。
 ぼんやりと天蓬は、思う。
 時には、豊穣を。
 時には、惨劇を生みながら。
 ひとときも滞ることなく、流れ続ける下界の時。 
 下界の、生命。
  
 
 同じ音同士が、呼び合うように、と。
 元は、雨乞いの呪術に使われたものだという。
 その、太古の力のままに。 
 捲簾の手元で、鳴るこの雨の音が。
 この天界にも。
 恵みの雨を、豊穣の雨をもたらすことを。
 ひっそりと、夢見ながら。

 天蓬は、柔らかに霞む天上の青空へと、遙かにまなざしを向けた。









4・
 ぱらぱらぱら、と。
 窓ガラスを叩く、雨の音。
 
「ああ、降ってきましたねぇ」
 窓際に立っていた八戒が、独り言のようにそう呟いた。
 その、表情の。
 もう。
 硬く張り付いた笑顔でないことに。
 悟浄は、少しだけ安堵する。
「……雨期なんでしょうかねぇ」
 
 西方へ向かう彼らの旅の道程の、その大半は、乾いて荒れた大地であり。
 雨は、ひどく貴重なものに思えた。

 その、決して短くはない道程の中で。
 そう遠くはない昔のように、雨の夜は苦手だ、と。
 八戒が、その表情を揺らすことは、なくなったように見えるけれど。

「………気になる?」
 何が、とは。
 あえて口にしないで問いかける悟浄へ。
 八戒は、作らぬ笑みを返す。
 
「気にならないといえば、嘘になりますね」
 
 ざぁぁぁぁ。
 ざぁぁぁぁ。
 
 強く降る雨は、消せない記憶。
 
 けれど。
 それよりも、もっと遠く。
 まるで。
 魂の、もっと深いところで。
 心が、ざわめいているかのような。
 
 雨の夜は、苦手だけれど。
 
 この心を、揺らすものは。
 きっと。
 
 それだけではないのだ─────。




'03.01.15  a.m.02:45

 

大変長らくお待たせいたしました。 5000HIT記念作品です。  5000HITのキリ番を見事(?)踏みあてて下さった、 くろねこ様に捧げさせていただきます。  お題は、「天蓬の日に、変なものを持ち帰ってくる天ちゃん」(ギャグ) だったはず、なんですが。  何故か、変なものを気にいったのは捲簾で、しかもシリアスっぽい話になりました。  えーとえーと、にも関わらずリテイク・返品不可、でもいいでしょうか?    九城がここ十年あまり欲しくて仕方ないけど、あまりに実用価値がない上に、 明らかに生活に邪魔なので、買うに買えないものの筆頭、レインスティックです。  でも欲しいよーっ!!  ということで、代わりに天蓬に買って貰いました。 ちなみに文中に出てくる怪しげな雑貨はすべて実在します。 ひだ○りの民、はご存じです……よね? 昨年秋にうちの職場に入った新人さんは、 就職二日目、職場の机の上に、緑の民を持ってきました。 当然、首を押さえてもがかせてみました。  夕立および嵐云々というのはそれぞれ九城の過去同人誌参照下さいませ。  (夕立は[夢に見るHeaven]、嵐は[熱性低気圧]。ってどっちも完売本ですけど)  そして、かろうじて10000HITの前にちゃんとキリリクをあげられましたので、 晴れて次回キリリクを設定できます。  なんの捻りもありませんが、素直に10000HITで設定させていただきます。  どうぞ、よろしくお願いいたします。 Library Top / Entrance