・軍の猫 11・


「それで?」
 ひとしきりの憎まれ口の応酬の後、ロイは不意に表情を改めて、エドワードの話を促した。


 東方司令部。
 ロイの執務室で、二人はソファに向かい合っていた。
 猫化したロイの再錬成───分離に関して方針が決まった、とエドワードが報告してきたのだ。
「レポートは読んだんだな?」
 じゃあもう分かっているだろ?と当たり前の顔でエドワードは言い放ち。
「……ああ」
 ロイは、少しばかり複雑そうな表情で、それでも鷹揚に頷いてみせた。
 頭の上では、綺麗な黒い三角耳が頼りなげに、ぴくりと震えた。
 
 焔の錬金術師のロイの得意技は、文字どおり焔だ。
 むろん世間的に認知されているように、火を操ることしかできない、という訳でもない。とはいえ、あくまで専門は、気体であったりエネルギーであったり物理運動の問題だったりするわけで。
 生体錬成は、はっきり言って専門外だった。
「よーするに、大佐が自力で猫と自分を区別すりゃ済むんだよ」
 エドワードは、こともなげに言い切った。

 元来生物には免疫という自己と異なる異物を認識し、排除するためのシステムが備わっている。
 合成獣は、錬金術的に異物をも自己と認識させているといえる。

 「例えば、だ」
 エドワードは、先程ホークアイが持ってきてくれたコーヒーに、無造作にミルクを注いだ。
「ミルクとコーヒーを均等に混ぜ合わせて、カフェオレを作る。これは誰にでもできる」
 単品なら絶対口にしたくないミルクも、カフェオレとなればエドワードも普通に飲める。
「けどカフェオレから、コーヒーとミルクを分離させるのは、誰にでもできるわけじゃない。つか、一般人にはまず無理だ」
 ただし錬金術的には、復元という操作を理解していれば、そう難しい技でもない。
「合成獣の場合も、まあ基本は一緒だ」
 錬金術的に、混ぜ合わせることは、理論的に可能だ。
 けれど分離することは、遥かに難しいのだ。
 が。
 それは、あくまでエドワードが、対象としてのコーヒー牛乳を、コーヒーと牛乳に戻そうとするから生じる困難さである。
 ロイ自身が錬金術的に自己と非自己を認識し排除するということになれば、それは全く異なる論理に基づいた錬成過程であり、十分勝算のある試みとして分離は可能だ、というのがエドワードの結論だった。
 
「………」
 ロイは、複雑な顔で黙り込んだ。
 ロイとて、国家錬金術師だ。
 しかも一度は、人体錬成の理論を組み立ててみたことさえある優秀な、錬金術師だ。
 が。
 あくまで、生体錬成に関しては門外漢なのだ。

「俺達はあくまで大佐の錬成のための場をサポートするだけだ」
 とりあえずこれ頭に叩き込んどいて、と。
 アルフォンスが抱えてきたぶ厚い錬金術書を、どさりと机に積み上げる。
 右手には、未処理の書類の山。
 左手には、錬金術書の山。
 はっきり言って、ロイの執務机は、山に埋もれていると言って差し支えない。
「大佐、頑張って下さい」
 励ますアルフォンスの声は、あくまで丁寧だけれど、その内に籠るひそやかな期待に気付かぬロイではない。
 元の姿に、戻るための方法。
 魂だけの錬成というアルフォンスのそれとは、根本的に違うけれど、ロイの成功は彼らの望みに確かに繋がっていく糸なのだ。
 
「……なるほど。では、せいぜい頑張ってみるとしようか」
 だからこそ。
 ロイは、ごくごく余裕の声と表情で。
 エドワードの提出したレポートを手にした。
 
 可能な限り早く。
 けれど、万が一にも失敗のないように、ロイ自身が十分に準備を整えられるように、と。
 再錬成の決行は、五日後と予定された。
 
 アルフォンスは、少しでも安全性を高めるためにさらなる資料を求めて、図書館に。
 そして、エドワードは、ロイの生体錬成の精度を上げるための特訓係だった。
「何故、私が鋼のに教えを請わねばならない」
 最初ロイは、断固としてエドワードに教えられることを拒否した。
 けれど。   
「ああ?何言ってんだよ、あんた。そんなこと言ってられる状況だと思ってんの?」
 ぐい、と乱暴に尻尾を掴まれ、ロイは反射的に涙目になった。
「……何をするっ!」
 慌ててその手を振り解こうとしても、エドワードの握力は桁違いで、尻尾が痛いばかりで決してその手は離れない。
「……大人しく、教えられてろって」
 よしよし、と宥めるように、今度は優しく耳を撫でられる。
 エドワードの指先は、予想外に優しく。
 心地よく。
 うっかりロイは和んでしまいそうになる。
 いかんいかん、と我に返り。
 覚えておきたまえ、この豆!と心の中だけで復讐を誓った。
 
 
 それから二人。
 水面下で波立つ思いはどうであれ、静かに、五日後行うべき錬成過程について、検討を重ねた。
 自己。非自己。免疫。
 「私」と「私でないもの」を区別する、生き物の仕組み。
 
「なぁ、鋼の」
 視線を錬金術書の頁に固定したまま。
 ふとロイが言った。
 それはエドワードに話し掛けたというよりは、まるで独り言のようだ、とエドワードは思った。
「もし、私に属するものを、私が私と認めなかったら。その時はどうなると思う?」
 例えば、この身を構成する60兆の細胞は、生まれながらにして「私」として刻印されている。
 では。
 人が、後天的に獲得したあらゆるものは。
 どんな風に「私」として、区別されるのだろう。
 何をもって「本来の私」とするのだろう?
 
 たとえば。
 
 この手に残る、忌まわしい記憶、とか。
 消せない罪、とか。
 こんな耳や尻尾なんかよりずっとずっと重くて、忌々しいそれらを。
 「私」に属するもの、と認めなかったら?

「……俺は、それでもいいけど」
 ロイの言わんとすることを、的確に理解したのだろう。
 エドワードは、俯いたまま、答えた。
 弟の身体を。己の腕と脚を。
 「全て」を。
 取り戻した、としても。
 なお。
 取り戻せない何か、があるように。

 罪も。
 記憶も。
 全部、この身から消え去ったとしても。
 なお。
 消えないものが、ある。
 
 けれど。
 ロイが。
 望むなら。
 あるいは、もし、ロイがそれを望まないとしても。
 それが、ロイの幸せだと。
 自分が、信じるなら。
 捨てさせてやりたい。
 そう願うのは、エドワード自身で。
 だから、こそ。
 
「選ぶのは、大佐だ」
 そう、言い切って。
 顔を上げたエドワードは、決して庇護を必要とする15歳の少年などではなく、ロイと限り無く対等の、錬金術師の顔だった。
「………私も、相当弱っているらしいな」
 肩を竦めて。
 ロイは、笑った。

 捨てられるくらいなら。
 なくせるくらいなら。
 初めから選ばなかった、焔の道だ。
 
 静かに笑うロイの向こうには、エドワードの知らない戦場の影が見えた。

「……っ、はがね、の!」
 こら、何をする!と、ロイは声を荒げた。
 何の前触れもなく、エドワードが、両手でぎゅっとロイの尻尾を捕まえていた。
「離さないか、鋼の!」
 痛いだろう、と。 ロイは顔を顰める。
 
 あったかくて柔らかくて手触りのよい尻尾が、鋼の右手と生身の左手、二つの手の中で、ぴく、と震えて逃れようとするけれど。
 ぎゅ、と握りしめたそれを、エドワードは離せなかった。

 
「……怖がることはない」
 
 不意に。
 かけられた言葉に。
「怖がってなんか……!」
 反射的に、噛み付いて。
 そうして、気付いた。

 怖がってる、なんて。
 思いもしなかった。
 
 
「大丈夫だ」
「……そんな、保証……」
 どこにもない、けれど。
 けれど、他に方法もなく。
「錬金術を使うのは、私だ」
 何が起きても。
 それは、ロイ自身の責任であり、結果なのだ、と。
 淡々とロイは告げる。
 だから。

「怖がってなんかねーよ」
 エドワードも、笑って。
 言い返す。
「せっかくこんなに似合ってる耳と尻尾がさ、なくなるなんてもったいないなあって思ってただけだ」
 本当に、それだけだから。

 もう一度、ぎゅうっと。
 縋るように。
 祈るように。

 エドワードは、細くて長い尻尾を握りしめた。 

 

さて第11話。終わりの一歩手前の話。

イロモノ筆頭のますにゃんぐなのに
何故か、シリアス風味。

これも一番最初っから、書きたかった場面です。



次回。
最終回のはずです。

今度こそ、できるだけ時間をあけずにお目にかかれますことを祈りつつ。







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