・軍の猫 9・
「はぁ……」 わざとらしく大きな溜め息をついて、ロイは窓の外へと視線を向けた。 タッカーの違法な人体実験──もちろん、ロイの猫化だ──についての査問も、なんとか一段落ついた。 タッカーは、ロイが元に戻るまで、東方司令部内に留置されることとなった。 タッカーの研究の解析は、鋼の錬金術師エドワード・エルリックに正式に一任された。 一番の頭痛の種だった大総統一行も今朝ニュー・オプティンへと出立し、大本の問題は片付かないまでも、なんとか東方司令部も静寂を取り戻した、かのように思われたところだった。 よい天気だった。 執務室の大きな窓からは、うららかな昼前の日ざしが燦々と差し込んで、室内はぽかぽかとあたたかい。 ロイは、日ざしに誘われるように、ふわぁあ、と大きく欠伸をした。 んー、と腕を伸ばせば、つられてぴん、と尻尾も伸びる。 たぶん放っておくと次には体を丸めて、ごろごろと喉を鳴らしそうな、きわめて猫らしい仕草だった。 まだペンを持つ手が止まって2分を超えていないので、さしものホークアイも微笑ましくその様子を見守っている。 そんな、司令部中が、つかの間の平和に和みかけていた時だった。 どぉんと低い爆発音が聞こえた。 「……っ!」 たった今まで和んでいた司令室に、一瞬で緊張が漲る。 「確認してきます!」 すぐにハボックが飛び出していく。 「……大佐はここを」 動くな、とホークアイが牽制する。 じりりん、と電話が鳴る。 「はい……、はい……」 応対に出たフュリーが緊張した面持ちで頷いている。 「基地の西門が爆破されたそうです!犯人は不明。不審者もまだ目撃されていないとのことです」 フュリーの報告に、ロイは頷きすぐさま次の指示を下した。 「基地内に緊急警備体制を」 「はっ!」 にわかに基地内が騒がしくなった。 嫌な予感がする、とロイは、執務室の窓へとちらり目を向けた。 襲撃に備えて、窓には近寄れないため、自分の目で外の様子が確認できないのがもどかしい。 ロイは、予知だの予感だのというものは信じていない。 だから、胸中を過るそれは予感ではなくて、妥当な懸念なのだと考えることにしている。 では、何が。 そう意識を集中させた時だった。 ぼん!と。 間近で、破裂音がした。 びく、と耳と尻尾が総毛立つ。 がちゃり。 予想していたよりずっと静かに、ドアが開けられた。 「……貴様」 ロイは信じられない、という表情でドアの向こうを凝視した。 予感、の正体は。 未来へそれではなく。 思い出したくもない、過去の記憶であった。 「おひさしぶりですね、焔の」 そこにいるはずのない男は、そう言って嘲笑った。 男の顔も、名も、その性情も。 ロイは、よく知っていた。 男の名は、キンブリー。 かつて国家錬金術師だった男だ。 ばん!と。 男の手元で、また大きな破裂音がした。 それは、彼が彼であることをただ知らしめるためのものだったようで、少なくとも彼がキンブリーであるなら、想定しうるどんな被害をもその場に齎してはいないようだった。 それが分かっているから、ロイも微動だにしなかった。 ただ。 どんなにロイの意思がどれほど冷静に対峙しようとしても、耳と尻尾は、警戒もあらわに、無意識にぴんと立ってしまっていたのだけれど。 「………それにしても」 くく、と堪えきれないように、キンブリーが笑った。 「しばらくお逢いしない間に、またなんと可愛らしい姿になられたもので」 「……うるさいっ!」 何でよりによってこの最悪のタイミングでこいつは現れたんだ、とロイはこの世のすべてを呪いたい気分で怒鳴り返した。 けれど、その瞬間、また、ばんっとキンブリーの手元で何かが爆発して、それは特にこれといって分かるほどの破壊力は持たなかったけれど、その大きな音に耳と尻尾は震えた。 猫とは、本当に大きな音が嫌いな生き物なのだ。 「……ッ!キンブリー、貴様……っ」 また、ぱんっ!と鋭い破裂音。 ぴくりと反応する自分の尻尾を懸命に無視して、ロイは目の前の男を睨み付けた。 爆弾魔と囁かれるキンブリーの力が、こんなものではないことは、共にイシュヴァールの戦場に立ち、人間兵器と呼ばれた自分が一番よく分かっている。 彼がその気になれば、この東方司令部など、数分で壊滅する。 明らかに、今のキンブリーの爆破は、ロイをからかうため──脅しですらなく──だけに行われているのだ。 「大佐……っ」 廊下の向こうから、ハボックが叫ぶのが聞こえた。 爆発を追ってきたのだろう。 「近寄るな、ハボック!」 とっさにロイはハボックを制した。 あらゆるものを爆発物へと錬成するのがキンブリーの錬金術であるけれど、彼の悪名をもっとも轟かせた特技は、人体を爆発物へと練成することだ。 少なくとも、今はまだ、キンブリーに殺気は感じられない。 だが。 いつ、彼が気を変えて、本気で破壊に転じるのか。 だが少なくとも本気になったキンブリーと互角に戦えるのは、自分しかいない。 ここで、国家錬金術師二人が本気で戦えば、東方司令部の壊滅は免れない。 せめてなんとか演習場へと誘導できないものか、とロイが必死に策を考えた時だった。 「……大佐っ!」 がしゃん、と騒々しい物音と共に、眼前に飛び込んできた人影を、ロイは一瞬認識できなかった。 「………はがねの、……?」 少なくとも認識できなかったのは、あまりに思いがけなかったからで、たぶんキンブリーと対峙していたロイの視界にひっかからなかった、のではないはずだった。 「おや、これは小さなナイトのご登場ですか?」 キンブリーはあまり驚いた様子もなくエドワードへと視線を向けたが、その台詞にはエドワードにとっての禁句中の禁句が含まれていた。 「誰が豆粒より小さいだとーっ!!」 形相を変えて怒鳴るエドワードを、キンブリーはきゃんきゃんと吠えかかる子犬を見るような余裕の表情で見返すばかりだ。 「鋼の、これは私の問題だ。君は下がっていろ」 けれど、それこそが最大の危険信号だと知っているロイは、エドワードの肩に手をかけて、下がらせようとした。 「何言ってんだよ、あんた……そんな状態で戦えんのかよ?」 耳も尻尾もこれ以上ないという程、毛を逆立てて。 大きな音も、焔も、こんなにも苦手な癖に、と。 「鋼の……」 ぱん、とエドワードが両の掌を合わせる。 一瞬の錬成光の後、エドワードはその機械鎧の右手を刃へと変型させて、キンブリーに向き合う。 「ほぉ………錬成陣なし、ですか?」 興味深げに、キンブリーの目が細められる。 「鋼の……!」 かすかにキンブリーの纏う気配が変わったことを察したロイは、今度こそ本気でいっぱいエドワードの肩を後ろに引き倒した。 「うわ、っ………と、何すんだよ、一体!」 「下がれと言ってるのが聞こえんのか、君は!」 予想外のことに思いきり尻餅をついて文句を言うエドワードと、それに怒鳴り返すロイと。 結果的に無視される格好となったキンブリーは、どうしようかなぁと視線を彷徨わせた。 めんどくさいから、このまま全部爆発させてしまおうか、ときわめて不穏な考えに行き着いたところで、キンブリーは己の首筋に当てられた冷ややかな刃に気付いた。 「………そこまでだ」 静かに宣告される声の重みを、知らぬ者などなかった。 「大総統閣下……っ」 いるはずのない人物の出現に、驚愕したのはロイの方で。 「………やれやれ。残念ですが時間切れのようですね、焔の」 キンブリーは、まるで驚いた様子もなく、大総統の前に両手を差し出して見せた。 「………まさか」 浮かびかけた疑問は。 「うん?何かな?マスタング大佐」 けれど一見にこやかなブラッドレイの笑顔に、封じられた。 「い、いえ……お見苦しいところをお目にかけました」 東方司令部の中枢にまで外部の人間の侵入を許したことは、ロイの失態であったけれどけれど、それは不問に付された。 というより、キンブリーが東方司令部に姿を現したこと自体がなかったことにされたのだ。 まさか、というロイの疑問は、結果的に肯定されたも同然だった。 「なぁ……結局、あいつ何だったの?」 不満げに、エドワードが尋ねる。 「………悪夢を見た。そう思っていろ」 ロイは、そっけない。 エドワードは、自分がどれほど危険な相手に向かおうとしていたか分かっていないのだ、とロイは思っている。 けれど。 彼が、どんな風に危険なのか──イシュヴァールで何があったのか。 それを、今この少年に語ることは、ひどく躊躇われた。 「ま、……いいけど」 たぶん、全然納得なんかしていないのだろうけれど。 あえて、それ以上聞かないでいてくれる少年の思いやりに、せめてもの感謝のしるしとして。 彼の手が、ごくごく当然のような仕草で、己の耳を撫で続けることを、ロイは黙認した。 (続) |
第9話。念願のキンロイです。
ただひたすらロイをからかって遊ぶためだけに登場のキンブリー氏。
怯えるにゃんこを苛めるのは
きっとキンブリー氏的にも、とても愉しかったのではないか、とl。
いえ、書いてる九城がとっても楽しい、だなんて(^^;;
さあこれで、ひととおり皆さん、ますにゃんぐで遊んだはずですし
エドも戻ってきたので
次回から、事態収拾向けて話を進めたいです。
猫小屋