・やわらかな…・
「失礼しま……」 ノックと同時に返事も待たずに執務室の扉を開けたハボックの、咥え煙草のままの台詞は、最後まで口にされることはなかった。 机の前にロイの姿がないのは、さして珍しいことでもなく、そういう時は中庭の木陰とか滅多に人の使わない資料室とかに逃亡していることがたいていだったが、今日は違った。 「……何やってんスか……?」 今のロイ・マスタングがいつものロイ・マスタングとは違うことは、理解している、つもりだ。 頭の上の三角耳も、ゆらゆら揺れるしなやかな細く長い尻尾も、これが非常事態だと日々訴え続けている。 が。 耳も尻尾も、目の前で上官が広い執務室の床に足を投げ出し、ぺたりと妙な姿勢で座り込んでいることの理由にはならない、とハボックは強く思った。 妙な、というのも、両足は大きく開いて、前に投げ出すように伸ばして座り、その足の間に、ぺたりと状態を伏せて寝そべっている、のだ。 ……間違っても、通常の人間の眠る姿勢ではない。 というより、これはあれだ。体術訓練の前の柔軟体操の、前屈、というやつだ。 「え?何であんた、そんな……」 足を投げ出したまま、まるでぺたんと二つ折りにしたみたいに、床についた上体。 ありえない。 サーカスの軽業師ならともかく、彼らの上司にして焔の錬金術師、ロイ・マスタングに可能な姿勢のはずがない。 彼はしなやかだが、決して体の柔らかい方ではないのだから。 「ふ、驚いたか」 ぴょこん、と上体を起こしたロイが、足を投げ出した妙に可愛い姿勢のまま、とても得意げにハボックを見上げた。 「猫は体が柔らかいと聞くからな、試してみたのだ」 「……へぇまぁそりゃあすごいことで」 返す賞賛は、絵に描いたような棒読みになってしまったとしても、いたしかたあるまい。 どこの世界に、猫にキメラ化されて、前屈が出来るようになった、と喜ぶ上司がいるというのだ。──この、世界よりも愛する、たった一人を除いて。 けれど、その愛する上官は、ハボックが前屈の成功した感動を分かち合ってくれていないことに気付き、むっとした表情でハボックを睨み上げてくる。 「……もしかして、あんた、身体硬いの、コンプレックスだったりします?」 「何を……っ!そんなわけないだろうっ!」 ふと思いついて訊ねてみれば、案の状真っ赤になって否定する。 あぁ図星か、何だか憐れみさえ憶えつつ、ふとその無防備に投げ出された脚に、思いついたことが一つ。 「……何だ?」 咄嗟に口元に浮かんだ笑みを鋭くロイに見咎められて、ハボックは慌てて首を振った。 「……ハボック、何を……」 ひょい、と脚を抱え上げられて、ロイは激しく狼狽した。 焔の錬金術師のくせに、火を怖がる猫の本能を持ち合わせてしまったロイのため、勤務時間外も護衛として傍を離れないハボックが、ここぞとばかりにベッドの上で覆いかぶさってきてもロイはさして抵抗しなかったが、さすがにこの体勢は予想外だったようだ。 「……苦しくはないでしょ?」 確かに。 いつもなら、とっくに悲鳴を上げそうな程、脚を大きく広げられても。 膝が頬に触れる程に折り曲げられても、柔らかな関節は、痛み一つロイに齎すことなくハボックの無体を受け入れてしまう。 が。 「……ハボッ…!」 この、淫らなんてものじゃない体勢を、心が受け入れられるかどうかは、また別の話で。 「せっかくこんなに柔らかい身体になったんだから、活用しましょう」 にっこり笑うハボックの笑顔が、忌々しい。 猫になっていいことなんて。 やっぱり一つもないじゃないか、と。 翌朝。 関節こそ痛まないものの、普段使わないあちこちの筋を伸ばされたおかげで、あちこち痛む身体を抱えて、ロイはこっそり呟いた。 ’06.02.22 p.m.09:40 |
授業中ノートに日付を書いていたら、
はたと今日(2/22)が猫の日だということを思い出しました。
にゃあにゃあにゃあ、と
頭の中で、とっさに黒猫なにゃんぐが鳴いてしまいました。
せっかく年に一度の猫の日なのに
猫小屋が埃を被ったまま放置なのは哀しいじゃないか、と
思い立ち、急遽小ネタをでっちあげてみました。
ひさびさに、ますにゃんぐ(汗)
ええと、年令制限なくても……大丈夫、ですよね?
ロイちゃんは、身体かためでいいと思います。
でも、ますにゃんぐはぐにゃぐにゃなのです(笑)