Treat Me




 一週間近く、声も聞いていなかった。メールでさえも数日前に一言しばらく忙しくなる、と送ったのが最後だったろう。
 構成員の一人が起こした人身事故をきっかけに、警察とかなり危険な駆け引きをしなくてはならなかった。
 四木ほどの男であっても、一瞬たりとも気が抜けない状況が何日も続いた。早朝から深夜まで、神経を研ぎ澄まし、情報の網を張り巡らせた。自宅に帰るのは、ほんの数時間、着替えと仮眠のためだけで、それさえも携帯電話でいつ呼び出されるかも分からない、そんな危険な状況だった。
 すべてにケリがついて、自宅で泥のような眠りについたのが、七時間前。
 疲労度からいえば丸一昼夜くらい眠っていても不思議はないほどだったが、たかが五時間で目を覚ましたのはもう若くない証拠かもしれない、と時計を確認して苦笑を零し、ついでに今日という日付の意味を思い出した。
 完全に忘れていたわけではなかったが、優先順位のずっと下の方に放置されていた事柄だった。
 とはいえ、今日という自由を手に入れた今、気付いてしまえば、無視できないほど事実は大きく四木の意識を占める。
 一山終わった、今夜会えるか?と簡単なメールを送ってみるが、返信はない。
 束縛し合う関係ではない。彼や彼と同級生だったあの情報屋のように、四木はネットやメールというツールに依存しているわけでもない。メールの返信がすぐに来ないからといって、不安を覚えるような子供ではない。
 ただ、無性に顔が見たくなった。
 池袋という街において、彼を見つけることはそれほど難しいことではない。
 人や物が宙を飛ぶ、特撮映画じみた騒ぎがあれば、彼はその中心にいる。
 そして、今日が彼にとって特別な日であるならば、なんとなく見つけられそうだというまったく根拠のない期待を抱いて、四木は数時間前に後にしたはずの街へと再び足を伸ばした。

 根拠のない自信は、半分は当たりで、半分は外れだった。
 空を飛ぶ自販機も振り回される交通標識もなく、ただ静かな四つ角で、ばったりと会ったのは、常日頃彼と行動を共にしている彼の上司である田中トムという男と、最近彼らと行動を共にするようになったヴァローナというロシア人少女だった。四木の管轄ではないが、彼女もまた粟楠会の監視下にある。
 そこに平和島静雄がいないことは、とても不自然な光景だった。
「ども、」
 ぺこり、と田中が頭を下げて、傍らの少女に何事か囁く。
 遅れて、少女も頭を下げる。
「先日のチョコレートは非常に美味であったと判断します」
「ああ」
 思い出したように職場へと送りつけている菓子のことを言っているのだろう、と四木は軽く頷く。
「今日は、一緒ではないのだな」
 誰が、とは今さら言葉にするまでもない。
「ああ……、あいつ、今朝から熱出しちまったとかで」
「熱?」
「インフルですかねぇ。あいつにとりつくなんて根性のあるウィルスもあったもんで」
「そうか。いや、足を止めさせて悪かったな」
「いえ」
 あいにく、四木はさっさと二人に背を向けて歩き出したために、見送る田中の顔に浮かな安堵の表情に気付くことはなかった。

 そのまま、静雄のアパートへと足を向けた。
 チャイムを鳴らすか否か僅か逡巡し、眠っていればいいと合鍵を使う。
「誰、だ…?」
 掠れた声。
「具合はどうだ、静雄?」 
「……四木さん?」
 とろり熱に蕩けた眼差しが、身体ばかり大きくなった子供みたいに四木を見上げる。
 みたいに、じゃない。
 これは、子供だという思いを四木は強くした。


 とりあえず人並みに世話を焼いてやろうと思えば、何もない部屋に呆れて、コンビニまで往復する羽目になった。
 1Lのポカリスエット。ひえピタ。レトルトパックの粥に、プリン。
 白いスーツのジャケットを脱いで、黒いシャツの袖を捲る。
 目についたタオルを濡らして、きつく絞ったもので額を拭い、買ったばかりのひえピタを貼ってやれば、きょとんとした顔をしている。
「……慣れて、ます?」
「?……ああ、手当てか?応急処置くらいならな。怪我人の多い職場だ」
 さして手際がいいとの自覚はないが、なるほど自分の怪我は瞬間接着剤で塞ごうという静雄のレベルから見れば、看病に慣れていると見えるのかも知れない。
「ああ……そうっすね」
 一頃は、全身怪我が絶えなかったという彼が、医療の常識を超えてメスさえ刺さらない身体になったのは幾つの頃だと言っていただろうか。それ以来、たぶん彼はまっとうな看病だの手当とは無縁の、生き物だったのだろう。
「まだ熱が高いようだな。飲んだら眠れ」
 ポカリスエットのコップを渡せば、喉の痛みに顔を顰めつつ、ゆっくりと飲み干していく。
「散々な誕生日だったな」
 彼に会いにこようと思った、動機を思い出す。
「……」
「治ったら、何か美味いものを食いに連れて行ってやる」
 珍しく弱り切った姿に、憐憫を覚えてそう言えば。
「いい誕生日っすよ」
 思いの他はっきりとした口調で、静雄は四木の言葉を否定した。
「静雄?」
「こんな風に看病してもらうのなんて、ほんとガキの頃以来っすから」
 熱で痛む関節も。だるい身体も。頭痛も。痛む喉も。
 苦しいけれど。
 嬉しい。
 そう、静雄は笑う。
「馬鹿だな、お前は」
 気付かれないくらい小さく眉を顰めて。
 それから、そっと汗ばんだ髪を撫でて、誕生日おめでとう、と呟いた。 








シズちゃんお誕生日おめでとう!

一つめのお誕生日セットに入りきらなかった四木静です
お風邪お見舞いを兼ねたらこうなりました