甘く、苦く、





「ただいま」
 珍しく一人で出かけていた沙樹が帰ってきた。
「ハッピーバレンタイン、正臣!」
 ブーツを脱ぐのもそこそこに、まるで待ちきれないというように綺麗にラッピングされた小箱を差し出してくる。
「おお、バレンタイン!サンキュー沙樹!愛してるよ」
 満面の笑みで、正臣は小箱を両手で大事に受け取る。
 男にとっても年に一度の一大イベント。沙樹の可愛い愛が詰まった大事な大事な、チョコレートだ。
「開けていいか?」
「うん」
 にこにこと沙樹が手元を見つめる中、正臣はいそいそとラッピングをほどき、箱を開ける。
 中には、まるでカラーパレットみたいに鮮やかな色が並んでいる。
「うわ、すげぇ」
「綺麗でしょ」
 にこ、と沙樹が笑う。
「臨也さんがね、これがいいって」
 にこり、と。
 無邪気としかいえない笑顔で、甘い毒を零れさせる。
「……臨也さんと、買いに行ったのか?」
「うん」
 臨也が、これがいいと言ったから。
 沙樹はそれを選び、正臣に贈る。
 なんて、歪んだ一途だろう。
「そっか、サンキュ、沙樹。すげぇ、嬉しい」
 頷く自分は、たぶん。
 あの人よりも完璧な、作り笑顔だったはずだ。
「よかった」
 嬉しい、と沙樹が笑う。

 ハッピーバレンタイン。
 君の、幸せな笑顔のために。





「……くそ、美味しいし」
 開けたその場で、沙樹と一つずつ。
 夜更けに一人きりで、もう一つ。

 誰がどんな想いで選ぼうとチョコレートに罪はなく、実は今年大人気のそれは、育ちざかりの高校生がコンビニで買って貪り食うようなものとは全然違って、ものすごくものすごく美味しかった。

 Sub; チョコレート、美味しかったです。
 本文; ありがとうございました。

 迷って、迷って。
 一言だけのメールを送信したのは、2月14日、23時58分。
 
 だって、分かっている。
 これが、きっと絶対高いものだってことも。
 沙樹が自分で買えるようなものじゃないことも。
 誰が、お金を出したかってことも。

 だったら。
 
 だったら、臨也が自分に贈ってくれたのも同然じゃないか。
 




 どこかで、メールの着信音がした。
 予感というより、確信に近かった。

 そうだ、あの人は遠くで仕掛けの結果だけを知って満足する人じゃない。

 会えるという根拠のない、けれど折原臨也を知る故の確信で、チョコレートの小箱を片手に掴んだまま深夜の街へと彷徨い出れば、まるで自分にGPSでもつけられていたかのような正確さで、彼と「偶然」出逢った。
「やぁ、紀田正臣君」
「こんばんは、臨也さん」
 白々しく交わす挨拶。
 一言、二言、どうでもいい話もした。
「あ、臨也さん」
 目論見は、読まれていたのかもしれない。
「何?」
 善良そうに、首を傾げる。
 手に持ってきてしまったチョコレートを一本、口に咥えて。
「?」
 背伸びをして、抱きしめるというよりは、しがみつくみたいになってしまうのはどうしようもなくカッコ悪いけれど、ぎりぎり唇の高さにして。
「……」
 唇に押し付けたチョコレートを、彼は訝しげに、けれど思ったよりはすんなりと口移しで受け取ってくれた。
「返品?」
「おすそ分けです」
 精一杯強がって、笑ってみせる。
「だって。臨也さんが、これがいいって沙樹に、言ったんですよね?」
 そう。
 世間一般的に聞けば、これが欲しい、と臨也が沙樹にねだったのだと解釈する方が、正しいシチュエーションだったはずなのだ。
「ああ、そういうことにしたいのか」
 くすくす、と臨也が笑う。
「どうせなら、わさびを食べて欲しかったのになぁ」
 ちらりと覗いた赤い舌先から、正臣は目を背けた。

 ほんの一瞬、触れあった唇の柔らかさなんて。
 覚えてなんて、いるものか。













幸せさの欠片もないバレンタイン小咄でした

正臣と沙樹ちゃんと臨也さん
この3人の関係は時々書きたくなる衝動にかられます