「あの、若造が」
バスク・グラン准将は、今朝届けられた機密文書を睨み付け、忌々しげに唸った。
若造、ことロイ・マスタング大佐が、グランに何か仕掛けた訳では決してなく、彼は今回全くの被害
者であったのだが、そんなことはグランの意識にはつゆほども上らなかった。
グランの後援する綴命の錬金術師・ショウ・タッカーのロイ・マスタングに対する違法な人体実験は、
グランにとっては彼の監督不行届を咎められかねない不祥事であり、それもこれも何もかもロイ・マス
タングが悪い、というのがグランの本音であった。
「大総統閣下」
大総統の呼び出しに、グランは柄にもなく緊張していた。
マスタングは、大総統のお気に入りだ、とグランは認識していた。
それも、また忌々しかった。
「報告は聞いた」
無駄な前置きは一切なく、キング・ブラッドレイ大総統が口を開く。
「君は今回の件をどう思うかね」
「ショウ・タッカーは、軍への忠誠篤い錬金術師であります。その彼が今回のような不祥事を起こすな
ど、我が輩には容易に信じかねます」
「ふむ。信じかねる、とな。ではこれはどう見る?」
飄然とした仕草で、ブラッドレイは一枚の写真が添付された書類をグランの鼻先に突き付けた。
「……は?」
それは、彼の忌み嫌うロイ・マスタング大佐の写真だった。
ただの写真、ではない。
遠方からの隠し撮りと思われるその写真は多少画像が荒いものの、ロイ・マスタングの頭上には確か
に猫耳と思しきものがあり、軍服の後ろからはよくよく見ると黒く細いものが覗いている。
ではあれが、尻尾か、と理解しようとする脳と全く別の回路で。
か、可愛い……v、と。
無意識に呟いている自分に、グランは愕然とした。
「……どうだね、准将」
ブラッドレイに問われ。
可愛いです、と答えそうな自分を、危ういところでグランは押しとどめることに成功した。
「は、いえ………恐れながら閣下、小官としてはやはり納得いたしかねます」
しどろもどろになりながら、なんとか訴えてみる。
ショウ・タッカーは、研究熱心ではあるが、命令に忠実な小心者。
「とても、東方司令部の司令官を相手に、そのような大事を行えるものではありません」
「……ふむ。では、しかと真相を確かめねばなるまいな」
東部に行くぞ、と。
これから昼食に行くぞ、というぐらいの軽さで、そうブラッドレイは言ってのけた。
「は、……お、お供つかまつります!」
反射的にグランはそう言っていた。
いや決して東部に行けば本物の猫耳仕様マスタング大佐が見れるからvなんて理由ではなくて。
いや見てみたくない訳ではないが、それは貴様それでも軍人か、とその無様な姿を力一杯罵ってやり
たいからで。
決して、あんなピントのぼけた写真じゃなくてもっと間近で見たいとかあの耳を撫でてみたいとかそ
んなことは思ってもいない、はずで。
「……どうかしたかね、グラン准将?」
額に冷や汗を浮かべたグランに、ブラッドレイが問いかけた口調の白々しいまでのわざとらしさに気
付く余裕は、もはやグランにはなかった。
「では、頼むぞ、准将」
「はっ!」
びしりと敬礼したグランの左手からロイの写真だけを抜き取って、ブラッドレイは退出許可を出した。
回収された写真に、ちらりと未練がましく視線を送り。
それから、その精悍な巨体に似合わぬ、どこかとぼとぼとした足取りで、グランは大総統の執務室を
辞去した。
「大佐!」
珍しく焦った顔で、ホークアイ中尉が、執務室に飛び込んできた。
「どうした、中尉?」
君がそんなに慌てるとは珍しい。
ロイは、悠然と応えた。
背後で黒くて細く長い物体が、ゆらりゆらりと揺れている。
その、尻尾の様子を見る限り、今日のロイの機嫌は悪くなかった。
耳も尻尾も、初期のパニックが過ぎてしまえば、この執務室にいる限り、大きな問題はなく。
ロイは耳と尻尾を隠す努力を、早々に放棄していた。
「大総統閣下が……っ!」
「何……?」
大総統の身に何かあったというなら、いっそ好都合……と軽口を叩こうとしたロイの口からは、けれ
ど幸いにしてそれ以上の言葉が紡がれることはなかった。
「ああ、よいよい、楽にしていてくれたまえ」
「……大総統!?」
リザの後ろから、入ってきたのは、誰あろう大総統キング・ブラッドレイその人だった。
「ふむ。本当に猫だな」
とことこと年齢にも地位にも似合わぬ敏捷で、どこか剽軽ささえ伺わせる足取りでブラッドレイはロ
イに近付くと、前触れもなく耳を掴んだ。
「……ひゃっ!」
ロイは、咄嗟に声を殺し切れなかった。
ぴくん、と尻尾が跳ねる。
ひょい、とそのまま引っ張られ、痛っ!と上げそうになった声を今度こそ、ロイは必死に飲み込んだ。
軍人が、しかも大佐ともあろうものが、耳を引っ張られた程度で痛いと泣き言を言うようでは、たと
え見られていないとしても部下にしめしがつかなさすぎる。
「か、閣下……」
その手をお離し下さい、と控えめに抗議をすれば。
「ふむ。なるほど見事に錬成されているな」
大きく頷きながら、存外あっさりと解放された。
「大総統閣下、このような突然のお越しとは……」
今度は何をされるか、とぴくぴくと無意識に震えて怯えた様子を隠せない耳と尻尾をちらつかせてい
ては、今さら威厳も何もあったものではないのだが。
それでも、ぴしりと姿勢を正し、威儀を繕って、ロイはブラッドレイに問いかける。
「うむ。その件だが」
こちらも、がらり表情を改め、ブラッドレイは、国家錬金術師ショー・タッカーに対しての査問会が
明日イーストシティで開かれることになったと告げた。
「セントラルの国家錬金術師機関ではなく?」
当然の疑問をロイが口にすれば。
「君はその姿でセントラルまで汽車に乗るつもりかね?」
さらりとブラッドレイは反問する。
「………」
「ま、一刻も早く君のその愛らしい姿を見てみたかっただけだ。気にするでない」
「………」
いやその台詞の方が、よほど聞き捨てなりません、とは。
言い返せないロイ・マスタングであった。
「はっはっは、だいぶ驚かされたようだな」
「ヒューズ!お前までっ!」
大総統を見送ったロイは、聞き慣れた呑気な声に、再び声を尖らせた。
「あ、俺は今回の件で、軍法会議所から派遣されたんだからな」
別にお前の猫耳を見たいだけでまた来た訳じゃねぇぞ?
セントラルとイーストシティの往復だってそうそう楽じゃねぇんだからな。
そうわざわざつけ加えられた台詞は、只でさえこの状況に不満だらけのロイの、怒りに油を注ぐこと
にしかならなかったけれど。
「来るなら来ると連絡しろっ!」
「いやだって……」
「……だって?」
また数度周囲の気温を下げるような声でロイが問い詰める。
「マスタング大佐は驚くだろうな、なんて大総統直々に言われちゃ知らせるわけにもいかねーじゃん」
あの、クソおやじ、と。
ロイは、心の中で、ひそかに罵る。
「ま、そーいう訳だから」
明日は、俺もついてる、頑張れよ、と。
ヒューズに、励まされ。
逆に明日の査問会が、普通の査問会として滞りなく済むはずがないことを覚悟せざるをえなくなった
ロイだった。
「これよりショウ・タッカーに対する査問を開始する」
大総統以下、国家錬金術師機関に関わる数名の将官と、東方司令部の将軍。軍法会議所からヒューズ
中佐にアームストロング少佐。
そして、きっちり制帽を被って猫耳を隠したロイ。
東方司令部の会議室は、開始前から異様な雰囲気を醸し出していた。
資料として各自の前に配られた書類には、タッカーの業績と今回の違法な人体実験に関しての訴状。
そして。
参考資料として添付された写真が数枚。
「……おお」
「これは……」
約二名を除いた一同は、息を呑み。
ただ一人、ロイは乱暴に書類を机に叩きつけ、ヒューズはそんな友人の心中に吹き荒れるブリザード
を思い苦笑した。
提出されたのは、どれもこれもロイのスナップショットだ。
耳を立てていたり。
しっぽを立てていたり。
隠し撮りでよくこれほどベストショットを集められたものだ、と思うほど、見事な写真写りであった。
形式通りに書類が読み上げられる。
その間にも、列席者の目はちらちらとロイの頭部へと注がれている。
彼らの関心が、ショウ・タッカーの処遇になどないことは明白だった。
グラン准将が、タッカーを擁護し、このような錬成を成し遂げた彼の高度な能力の利用価値を訴える。
「彼の研究成果に軍としての利用価値があるとは考えられませんが」
ロイは、いちおう控えめに、申し出てみる。
利用価値、どころか。
猫耳と猫尻尾がついて、どう戦闘力が向上するのか、いっそ教えて欲しいとさえ思う。
いっそ利用価値があるというなら、自分だってまだ我慢もできるし納得できる。
「で、他にないのかね?」
それまで沈黙を保っていた大総統が、おもむろに口を開いた。
「……は?」
「いやだから、君の貴重な猫耳写真だよ」
どうか聞き間違いであったらいい、とロイは心の底から真剣に願った。
「マスタング大佐?」
こんな隠し撮りではなくて。
ちゃんとカメラ目線のバストアップとかグラビアアイドルポーズとか。
そう、一つしかない目が雄弁に訴えてくる。
「あるわけありませんっ!」
咄嗟に大声で怒鳴り返して。
それから、こほんと咳払い一つ。
ロイは精一杯頑張って、真面目に反論してみた。
「キメラ錬成は軍の国家機密、迂闊に写真になど残すことは危険に過ぎます。よってこれらの資料写真
も会議終了次第、すぐに焼却処分とすることを提案いたすものです」
「うむ、残念だが仕方あるまい」
これ以上査問会の場で遊び続けるつもりはなかったのか、存外あっさりとブラッドレイは承諾し。
少なくとも、会議は以後は、無事滞りなく進行した。
タッカーの身柄はグラン准将に預けられ、タッカーの研究はロイの再錬成のため、ロイの権限でエル
リック兄弟に委ねられることが確定した。
「………やれやれ」
元々会議など嫌いな性分ではあるが。
いつもの数十倍もの疲労感を覚えて、ロイは会議室を退出した。
結局、何ら事態が好転したか、といえばそんなこともなく。
単に、無駄に恥を晒されただけ、という気がするのは、決してロイの被害妄想ではないはずだった。
(続)
|