The Melodies of Psychedelic Dreams (2)


「いぃぃざぁぁぁやぁぁぁ!」
 ストライクを狙う高校野球のエースピッチャーを思わせる速さで投擲されたのは、残念ながら夏空に映える白球ではなく、コンビニの店頭に置かれている燃えないゴミ用のゴミ箱だった。
「ったく。ホント嫌になるよね、このワンパターン」
 ゴミ箱を投げる静雄を化け物と呼びながら、ひょいひょいと身軽に逃げていく臨也の動きも、十分人間離れしていると呼んで差支えないものだった。
 花壇から、煉瓦塀。そこから跳んで、マンションのエントランスの大きな張り出し屋根。三階のベランダの柵に掴まって、大きく反動をつけて、隣のビルへ飛び移る。
 池袋を舞台にした、盛大な追走劇には、あちこちにトラップも仕掛けてある。
 脚力だけで、三階の高さへ跳躍を可能とした静雄が次のビルへと移るための手がかりとしたパイプはその握力にアルミホイルのごとくへにゃりと曲がってちぎれて彼を落下させ、臨也が跳躍のための踏み台とした青いゴミバケツは、静雄の脚の下でくしゃと紙を丸めるみたいに潰れた。 
 トラックに撥ねられたところで、ぴんぴんしている静雄のことだ。それくらい、何のダメージにもならないことは臨也だって十分承知した上での、ささやかな障害。だから臨也が通り抜けざま、レストランの裏口にあった廃油の缶を倒していき、静雄がそれに足を取られ、まるでコメディ映画のように滑って転んだのだって、馬鹿じゃないの、と指差して笑い、静雄ではなく彼が頭を打ったアスファルトの方を心配するはず、で。
 たかが足を滑らせて転んだくらいで、平和島静雄がどうにかなるはずはないのに、彼はぴくりとも動かなくなった。だからといって死んだふりをして罠を仕掛けられるほど知恵の回る男でもない。
「……シズ、ちゃん?」

 さすがに不審に思った臨也が声をひそめて様子をうかがったところで、彼が顔を上げた。
 なんだどうってことないじゃない、もしかして転んだことさえ分かってないんじゃないの?
 そう思うほど、静雄の動きは別人のように緩慢だった。
「……臨也?」
 おかしい、と思った。
 臨也、なんて。
 普通に彼が自分の名を呼ぶのは、おかしい。
「ああ、臨也だ」
 顔を上げた静雄は、臨也の姿を認めて。
 柔らかく笑った。
「え、ちょっ、シズちゃん!?」
 交通標識を振り回されるよりも自動販売機を投げられるよりも、臨也は動揺した。
「やっと、会えた」
 いつもの殺気と恨みに満ちた黒い笑顔ではなく。
 無邪気に、本当に嬉しそうな笑顔でそう言った静雄が、とうとう中身まで壊れたのだとその時臨也は思った。


「ねぇ、新羅のとこにでも行ってきたら?」
 それでその頭の中身を解剖してきてもらったらいい。
「臨也、聞いてくれ。俺は、あいつだけど、あいつじゃない」
「は?何を…」
「俺は、あいつとは別の人間だ」
「……」
「あいつのが強いから。いつもは、話すのも動くのもあいつで、俺は見てるだけで。けど、時々こうやって、出てこれる」
 多重人格?
 臨也の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
 ドラマや小説でセンセーショナルに扱われることが多いために非現実的な事象の一つのように思われがちだが、実のところ稀な症例ではないのだ。
 だが、間違いなく壊れたとしか思えない静雄は、必死な表情で臨也に信じてくれと訴えるのだ。
 俺はあいつだけど、あいつじゃない、と。
「俺が信じるとでも?」
「信じてくれ、臨也」
 気持ち悪いと臨也は思った。
『てめぇの言うことなんざ、誰が信じるかよ』
 それが静雄の台詞のはずで、彼が信じてくれと自分に懇願するなど。


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