The Melodies of Psychedelic Dreams (3)




 結局臨也は静雄の自分は第二人格なのだという主張を受け入れることにした。このありえない状況もそれで説明がつくのなら仕方ない。
「とりあえず移動しようか」
 レストランの裏手の狭い路地に、廃油まみれになったバーテン服姿の平和島静雄と折原臨也が仲良くしゃがみこんで話し込んでいる構図なんて誰かに見られて嬉しいものではない。
「どこか人目につかないところで話そうか。ああ、その前に着替えるかい?」
「ああ、頼む」
 そういえばこの静雄は、大切な弟君に貰ったバーテン服を汚されても怒らないのだな、と臨也は少し面白くない気持ちで見やった。肉体的にはナイフの刃程度じゃろくに傷もつけられない静雄だが、その刃でバーテン服を切り裂いてやれば、面白いほど血相を変えて殴りかかってきたというのに。
「買ってきてあげるよ、ご希望は?」
 溜め息、一つ。
 バーテン服以外の姿を見かけることがないことを皮肉るようにそう問えば、意外にも静雄はすっと指を指した。
 示す先、ビルの壁面に宣伝パネルが飾られている。
 白に、ピンク。
「サイケ……?」
 サイケこと、サイケデリックドリームス。臨也に似せて作られたCGの笑顔が、ピンクのヘッドフォンコードをなびかせて、柔らかに笑っていた。
「あれが、いい」
「えええ!?シズちゃん、ちょっと、それどういう……」
「あれは臨也みたいだけど、臨也じゃない」
「そうだね」
 乾いた笑い。この男は何を言い出すのだろう。
「あんな風に臨也は笑わない」
「……」
「あれを見て、俺もああなろうと思った」
 静雄によく似ている――――というか身体的には全く同一の――――が、精神的には全く別の存在、として。
「分かったよ、見つくろってきてあげるから、そこら辺で隠れていて」
 静雄の考えたことが理解できてしまうなんて世も末だと半ば本気で嘆きながら、臨也はいったん静雄から離れた。

 すぐ近くにあるブランドショップに入る。
 さすがに彼の希望する白いファーつきのコートを着せることには抵抗があったので、妥協策として真っ白のスーツを選ぶ。
 鮮やかなピンクのシャツが売られているなんて、これは絶対どこかの誰かの陰謀だろうと仮想敵を心中罵りつつ、それを購入した。
 その先のビジネスホテルまで足を伸ばし、ツインルームを予約する。カードキーを二枚受け取って、先程の路地に戻る。
 服とカードキーを静雄に渡し、先に部屋に入っているように告げる。
 平和島静雄と折原臨也が仲良く話し込んでいたなどという目撃証言でダラーズの掲示板が埋め尽くされるのは最小限で食い止めたかった。


 人の印象は、服装と髪型であらかた操作できるものだ。それを臨也はよく分かっているし、それを誰より効果的に利用してきたという自負もある。
 だが、それにしても。
 なるほど、変わるものだ、とあらためて感嘆する。
 ピンクのシャツに白いスーツを着た彼に普段の池袋の喧嘩人形の印象はなく、まるで異なる表情が明確に彼が「別人」であることを臨也に認識させていた。
 
「それで?ビリーミリガン君」
 ガラスのローテーブルを挟んで向い合せ、ソファに寛いだ臨也が口火を切る。
「ビリー…?」
「ああ君に通じるとは思ってないから気にしないで」
 臨也がさらりと馬鹿にしてみても、普段なら意味は分からなくても馬鹿にされているということだけは分かる静雄は瞬時に怒りをあらわに殴りかかってくるのだが、今日はきょとんと首を傾げるばかりだ。
 なんだ、こいつは。
 臨也の中で、ちいさく苛立ちがちらつく。
「……何から話せばいいのか、分からないんだが」
 怒りの沸点も臨也に対する態度もまったく異なるこの男は、けれど言葉巧みでないという点では、通常の静雄と大差ないのかもしれない、と臨也は思った。
「俺のがあいつより色々知っている。あいつが気が付いてないことも俺は知ってるし、ちゃんと分かっている」
 だからあいつより俺のが偉い、と主張しているような口ぶりに、失笑しそうだった。
 あいかわらず、まるで子供だ。そう思って。
「じゃあ、何を?君は何を知っているのかな?シズちゃんが知らないシズちゃんの弱点でも知っているならぜひ教えてくれ」
 あくまで小馬鹿にしたからかい口調をあらためない臨也に、けれどこの静雄はまるでキレる様子もなく、しばし黙りこみ、それからサングラスに覆われていない淡い色合いの瞳がまっすぐ臨也を見た。
「臨也が好きだ」
「……は?」
 一瞬、日本語が分からなくなったのだと思った。
 今、彼は何を言ったのだろう。
「俺は臨也が好きだ。俺もあいつもいつだってお前を見ている。あいつはお前に怒りをぶつけるしか知らないけど、俺は違う」
「……っ」
「お前が好きだ。あいつはむかつくの一言で片づけちまうけど、そうじゃないんだ。お前を見てると苦しい。お前に馬鹿にされるのが一番つらい。お前がひどい奴なのは分かってる、けど……それでもお前じゃなきゃ、ダメなんだ」
 何だそれは何を言っているんだこいつは。
 臨也は動揺していた。
 いるだけでむかつく。大嫌い。いなくなってしまえばいい。
 自分達は同じベクトルで憎み合い、喧嘩し、互いを仇敵としてきたのではなかったのか?
 それが、憎しみじゃない、と?

「分かったよ」
 けれど臨也の口から出たのは、内心の動揺とは真逆のそんな言葉と、得意の笑顔だった。
 好きだなんて。
 彼の言っていることを受け入れたわけではない。受け入れるなんてできるはずがない。
 けれど、確かにこの平和島静雄がいつもの平和島静雄でないというなら。
 利用価値は、ある。

「サイケデリックドリーム、ね」
「あ?なんだ?」
「君にぴったりだよ、そのかっこう」
 白とピンク。
 コンピューターのディスプレイで歌い踊るCGなんかより、ずっと非現実めいた存在。
「幻覚。夢想。あんな画像プログラムより、君にぴったりだ」
 名付けるとは、神の最初の行為。
 絶対者として対象を支配する、原始の魔術。
「サイケデリックドリームス略してサイケ。今日から君の名前にしてしまえばいい」
 高校入学と同時に出会ってから七年。
 ただ一人、絶対に自分の思い通りにはならなかった男の一部を、確かに今自分は手に入れたのだとその時臨也は思った。




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